Tsukemenpapaのブログ

アラフォー別居婚男性の頭の中

ラジオの話とバドミントンの話と家族の話

水曜日のオールナイトニッポンゼロに、はんにゃ金田さんとフルーツポンチ村上さんが来た。

この2人の組み合わせと言えば、もちろんテレビ東京夕方の30分番組、「ピラメキーノ」である。

この番組はとっても思い出深くて、子育てど真ん中だった私は、2009年毎日欠かさず見ていた。(今は関係が冷え切っている)時短勤務で早く帰ってきていたママも、うんちょこちょこちょこピー!は大好きで、自分は子どもに見せながら、でも子供よりもむしろ大人が大ハマりしていたかもしれない。

1年が過ぎ、年が変わりコクシで爆発した私が家に帰った時は、その時間は「うちの三姉妹」を見る時間になっていて、そしてまた爆発して、自分の青春が終わった。

そんな、いわゆる「何も起きない日常」に安心していた時期の、まさに安心して見ていられた「ピラメキーノ」について、演者と作り手が話しているのを聞いて、涙腺爆発、顕微鏡が見られなくなって気を失った。寝た。神回だったように思う。

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バドミントン。年末から週2で再開し、県シニアシングルスに照準を合わせ、禁酒・禁ポテチ・時々のジョグ・ハードな実験スケジュールで調整してきた。

が、コロナvirusの流行。職業上、出場を躊躇っている。5年前に大会に出た時はコテンパンにやられたけれど、今は準備している、禁酒という、大準備。

学生最後の大会は、新型インフルが流行り、開催が危ぶまられたけれど、車で来ていた我々最高学年がマスクを購入し、徹底してマスクしての応援。5日目まで勝ちのこった人以外の感染は防げたし、自分の最後の試合は大勢の部員は応援させず、横浜に帰らせた。ナイス判断。結局、マスクと手洗いで予防するしかないのだけど。

とっても迷っている。

2/23追記、棄権することにした。

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お袋のオデキが再発した。正確にいうと、2回目の再発、4回目の手術を予定。

5年前、千葉の放射線治療センターにギブアップされ、はるか常総の国に飛ばされ、奇跡的にゴッドハンドと巡り合い、オデキを取ってもらった。髄膜炎をはじめ、沢山の死ぬほどの合併症はあったが、親父もおんなじところにオデキが出来て、オデキが大きすぎて海馬と尾状核が爆発して、長期間の髄液漏をはじめ、沢山の合併症はあったが、生きた。そして、障害受容のプロ、ケースワークと「私が元気でいる」という親孝行的アプローチ、生活訓練をして何とか耐えていた。記憶障害や認知機能低下よりも、末梢の脳神経障害、お袋は左外転神経麻痺、親父は右同名半盲。こっちの方が圧倒的に生活への影響が強いようで、末梢の障害が高次脳機能障害を加速させていて、何とか週一回アプローチしてきた。

年明け。お袋の何かまた調子が〜、とはいはいいつもの不定愁訴ね、と顔を久しぶりに見た。確かに右の上眼瞼が下垂しているのである。

いつ脳外科受診だ?早くしろ→実は夏頃から画像上はオデキっぽいものが見えていた、なんだって???→可及的速やかに、画像を常総の国へ送り、とんとん拍子に手術日程、検査入院日程が組まれている。

観察、は科学では1番の武器である。

見つけたら、出来る人に相談。その相談がちゃんとできる人間になれて、良かった。

親の、特に母親の顔をまじまじと見つめるのはとても気恥ずかしいが、見てよかった。いつもの不定愁訴は、今も続いているんだけど。

左の中脳圧迫して、もう死ぬかも、の5年2ヶ月前から救われた命。ゴッド以外に預けられる人は居ません。出来れば、祖母と同じ年までは生きて。