Tsukemenpapaのブログ

アラフォー別居婚男性の頭の中

9年前同様の季節外れの大嵐

 今週3日間、ほぼfullで21時まで病棟業務を行いました。3年ぶりです。

病院の業務:後期研修医の指導と称した自身のリハビリになってしまったので、「昔はもっとできたのに」「判断が遅くなっている」と98%自分に対してイライラして、

ただ、指導される側の後輩たちがとても優秀で、言葉足らずの私の言いたい行間を読み取ってくれました。パワハラになってもおかしくないくらいの言い方を多少なりともしていたと思う。反省。ただ、カンは3日間で戻った。

 バドミントンが強くなることしか興味ない男なので、あんまり普段はイライラしないのですが、感染症蔓延で異常な世界、急に大学病院入院患者という重複疾患重複障害を抱えた方々のリハメニューを決めたり、しかもしかも動物実験の方も、優秀な新たな大学院生に教えながらの、スーパーマルチプルタスク。

こりゃ現場のミスは0にする、ゆっくり確実に一つずつこなす。(いわゆる一個一個に目当てをきめて、取り組む小学4年生的な思考)をメインターゲットに動いたから、インシデントはほぼ0だった。

そもそも、医療においてはミス0。当たり前で、常にミスができないというストレスにさらされている。だんだん、ミスしたときに前に言い訳しとかないとっていうことで、あらゆる可能性を説明するというお作法が定着した。と思う。それは悪いことではないと思っている、なぜなら、日々苦悩しながらお薬の量を朝食後にした方が夕方から効いてくるかな、でもガイドラインには夕食後に推奨されているし、、、

こんな、私みたいな臆病は臨床にむかないのである。


そして、即断しなければならない商売である。これが一番大事、その場で決める。

リハも、ゴール(たとえば外長い距離歩くときは杖がいるかな、みたいな目標)は状況によって変わるけど、出会ったその瞬間に大筋決める。恩師たちはそういっていた、見えるとも言っていた。

状況によって変わるというのは、あいまいだけれども、この大筋決める、が即断。

他の救命救急様の即断=すぐに決断する は、致命的であるからです。

ニュースで時々聞く、PCR検査でミスができないストレスって言うのがよくわからない。そんな検査、やらないでステイホームすればいいと思う。合理的じゃね?そうでもないのかなあ。

そして、さまざまな職種と、我々はチームを組まなきゃいけない。ぶっちゃけて言うと社会的偏差値は我々は低いかも。頭でっかち。全部をまとめてスクラム、開成の棒倒しでいうと団子にはなれない。だから、リーダーがぶつぶつ文句を言いながら、指揮をとる。

なので、この非常事態で、手助けができるフリーターである、ということを先に申しておきますが、しかしここで失敗がありました。保険医登録票というものを業務にあたっては必要です。その手続きを踏む前に、いろいろと勝手に人事に掛け合ってしまって、教授はずいぶんと怒っていた。(ただ、教室秘書様も、教授自身も外勤・テレワークで不在、常勤欠員ありの非日常)

リスクマネージメント上、怒るのは仕方ないし、疑義照会にかかるのは、処方した超高額薬剤一個だけ。

まあ、医師免許は絶対取り消しにならないだろうが。しっかりと人員の適切な配置をするべき。

まあ、紙ベースの手続きは日本の中ではまだまだ重要な位置づけだから、いいんじゃない?と思う。再再交付でもなんでも、おれは酷使はがんばってほぼ一週間漬けで受かって、ちゃんと卒業試験も全部追試で土下座して通って、そのあと1年9か月休んだだけ。

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昨日の外勤、隣の整形なんてお客さんいないから、感染防御の意識が高くてフェイスシールドつけながら小説読んでいて、絶句。

こっちは県をまたいで、命からがら、お袋や親父とももう当分会えないと悟って外勤をしているのに。まあまあ、忘れっぽいのでそのことは忘れましょう。

 

ここから回想です。

すこし思い出してみました。

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実に2回も研修再開に失敗した。あれはなんだったんだろうか。だけど、3回目はおふくろの最初の手術@武蔵野の大学病院の翌日から、時短出勤から開始し、2012年1月から消化器内科と称した内視鏡センター勤務。実に1年9か月も遅れた。傷病手当が入っていて、緑のマーチを買ったけど、大学のすぐ近くに下宿を借りて、家賃に当ててバス通勤にした。
ママの同級生も結構いて、あたたかく見守られて、ルートの練習を死ぬほどしたけど、一回逆血が異常に多くて、Aを刺した疑いがあって(結局違ったけど)死ぬほど説教された。そしたら、同級生のダンサーが、つけめんぱぱさん(その子は学生時代からおれをさん付けで呼んでいた)、シミュレーションセンター行きましょうよってめっちゃ教えてもらった。

そっから内科もういっこやって、その時は恩師である解剖の元助教に、毎日仕事の後は酒だ、酒と吐くほど酒とおいしい魚、焼き鳥をおごってもらってました。もつ焼きのことを、「シロモツタロウ」とか、熱燗のことを「ハイオクタン」なんておかしな呼び名が面白くて、マネしていた。先生が教えている学生たちともとても仲良くなって、沢山の縁ができました。今でも感謝している。

飲めなかった日本酒が、酔わずにぐいぐいいけるようになりました。主に浦霞、緑川。アル中になっていきました。悪いことはほとんどしていないと思う。

 

研修内容で印象的だったエピソードは上げだしたらきりがない。

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 救急では、初めてドキドキしながら当直したら、金〇大出身の小児科志望の先生が、自転車転倒打撲って言っているのに、虐待を疑って、服を脱がせて丁寧に診察したり、めまいにメリスロンだっけ炭酸水素ナトリウムをうつのはPHを緩衝させるからですよね、とか自慢げに上の先生に言ってたから、「ああ、この子はやる気あるからこの子と当直したら楽だな」って思って一晩普通に業務したら、なんだか劣等感を感じて、「先生今日まとめのミーティングしないで帰ります」って言ってさっさと帰った。

 当時の救急部はできたてほやほやで、いろいろな先生+麻酔救命救急部門が集まって(現在のような教室体制ではない)、これからハーバードだかに留学する天才とか、マ実験をしてる、ドラクエ1・2・3を買ったけどやれないんだよとちょっと怖めの先生とか(いつもすれ違うのに、どうしてもオーラが怖くて挨拶できない)、魚釣りが趣味の先生とか、生活保護を受けながらアメリカで何年間かキャンピングカー留学生活をしていた超ユニークな先生とか、一番ガッツあるサーファー女医さんおでこに傷ありに、もうほんとつきっきり。手取り足取り。

どうしても夜間はできないと判断していただいて、日中は何時になってもいいからとにかくしっかりまとめまでやって、ナートの練習をして帰った。
二次救急プラスアルファなので、今、ちょっと大人になって後方視的に考えると、

2次のなかから、cliticalを見つけるカンがとても重要だとわかるが、当時はそんなことは知る由もなし。その、何回か遭遇するピンチ。一回だけ挿管するチャンスがあったんだけど、超太ってたから、もうやる前から無理って判断して上の先生とICUの先生同時に呼んで、お祭りにした。接遇がとってもよかったと褒められた。只、日によって動きの良さに差があるといわれた。だいたいよかったけど、超トロイ日があって、心配だったって主にキャンピングカー先生に言われた。自分でもそう思う。今でもそう。

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その後は小児科か、血液グループはとても頭が良い先生が3人か4人いたので、もう直の先生につきっきり。とにかく清潔操作ができなくて、いつも泣きながら、結局ちゃんとマスクガウン着けられてマルクができたのは一回だけ。CVも先生邪魔だから、私たちがやるね、ほかの指示だしとかやっといてって言われて、よくわかんないから、電解質のバランスとか見ていた。多分本当は抗菌薬の量とか勉強するべきだった。

京大から戻ってきた先生に、抄読会をやりましょうと言われて、うお、おれ英語読めねえと思って、抄読会の一週間前に2回下痢で休んだけど、何とかAML M5がなんちゃらっていう論文を読んだ。とにかくIntroが面白くて読んでたらなんの論文かはわからないけど、忘年会に連れて行ってもらって、すっげーのんでスナックでカラオケに行って、次の日超気持ち悪い中働いた。次の日かその次の週に、緊急にICUに入る子が夜来て、夜中の12時くらいまで、先生に「ぼくになにが手伝えますか?」って焦って聞いて、院内薬局に行ったり、血ガスの機械回して、終電で帰りますごめんなさい、って言った。

次のNICUでは神経解剖学にいりびたり、ずっとお茶をのんで臨床神経解剖学とプロメテウス解剖学を読み漁っていた。勉強の知識がリハには何の役にも立たないともしらずに。。。。

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放射線科の時の話だけど。

女医さんに、やる気がないのを見抜かれて、「先生救命救急回ったんじゃないの?よくそんな動きの悪さで3か月やってこれたね」「X線をみるときは。乳房のこのnippleは石灰化じゃないからね。」→nippleってなんですか?「乳首だよばか!!!!」

「今日18時からなんちゃらセミナーが相模原であるけど、早めにあがって一緒に行こうか?」→それDutyですか?「てめえなめてんのか!!!!」

造影当番で、ルート取りだけがウリだったのに、どうしてももれちゃった方が、(そんなに怒っていないのに)最初にちゃんとあやまったら、ちがう准教授の先生が飛んできて、「マスクをとって土下座だろ!!」ってどなられた。

放射線科の先生は頭がよすぎて、人の心が読めないのを知った。

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以上、一年間でアル中脱抑制になって別居したいきさつを簡単にまとめてみた。

 

子育てという重圧がなかったから、仕事。勉強。その後バンド。バドミントン。

時々家族、とのびのびできた。

でも、娘の不登校・大好きな先輩の逝去・ママがよく泣くようになった・お袋が再発したことで、断酒。結構酒で失敗している親友たちは多くて、今断酒ブーム。

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これで4500文字。

これでだいぶ読みやすいかなあ。伝わる人に伝わればよいのです。

自分は数字だけが得意な人間。帰納法と漸化式まで。

 

テレビでは、ころころ話す人が変わって、おんなじ人が話し続けたほうがいいと思う。

信じられない。北の国なんか、その点今どうなってるんだろうか。