Tsukemenpapaのブログ

アラフォー別居婚男性の頭の中

団体に燃える男、当時の日記

決戦は金曜日、外来の日は毎日東医体の5日目みたいな感じなのです。

 

先日のエントリーで、東医体にコミットするように生活を構築していくため

3年生の東医体は、双頭竜先輩と、クワガタ先輩と、マイベストパートナーと、同学年の女子たちにお尻をふって、お休みをしました。
幹部学年のミックスのペア:うずは、3年生の時の、ダブルスで覚醒し、キャプテン先輩との1ダブルスでなんと個人戦ベスト8!有明ハーバー初の快挙。

パパはその時、甲子園を呑気に見ながら、ユの脱水や栄養不良に注意しながら、勝つたびの報告に喜び、メンタルコーチをしていました。結構、メールが来るまでの時間が長くなっていて、あ、これファイナルだな、と思ったりした。

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来年は出てえ、団体勝ちたい!(2年生の時に、1単1複で出させてもらい、1複ファイナル逆転負けをして、1単では足がつって、棒立ちになりました。覚えている人は少ないかもしれませんが、あそこで界王拳をだしていたら、多分死んでました。)

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このころは徹底的にマイベストパートナーとのダブルスをイメトレしましたが、基本保育園が忙しくなってきたので、ミックスパートナーとの朝練にコミットしました。ひたすらスマッシュを打ち込みました。DV夫の気持ちは全く分かりませんでしたが、いつも「パパに元気を吸われる」といって、妻はレシーブだけ強くなっていました。
朝だけ、リミッターを解除していました。一緒にシケモクを吸ったのは、時効です。

 

ただ、マイベストパートナーは、学業に真面目だったので、ダブルスはほとんどせず、

お試しで出た本妻のコーチングのもと、金沢区のBで3位

その年の4部個人戦では、北里の親友ベロリンマンにファイナル危なげ勝ち、そのほかは、マイベストパートナーに一言スマッシュ打つな

全ては決勝に力を蓄え、千葉大の1ダブにファイナル。(たしかベスト16くらいにいったことがある曲者たち)最後は覚醒して余裕勝ち。大好きな優勝を手にし、団体戦スカウターとなりました。

結構作戦が当たるので、2007の東医体の団体、目標は鉄門とベスト4を争うことに決めました。

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相手校が決まるのが、7月。尊敬する産婦人科のシュガー先輩です。今でも仲良しです。

ママに内緒で、狛江にはよく行きました。この年は一人で行ってたかな?昭和のひっきー先輩と、3人で勝負して、いつも僕だけボロボロ。(ママにいつ呼び出されるか、わからないから界王拳をだせない、と言い訳しています)

ヒッキー先輩には、絶対シングルならもっと上に行けるといわれ続け、公式練習試合では、もう相手しないといわれました。代わりに、徳ちゃん+柴さんのダブルスを、非公式でやらせてもらいましたが、めちゃくちゃ競って、負けました。レシーブができねえパパのせいです。

 

そんなこんなで、ダブルスは、2複の方が圧倒的に安定化があると判断し、オーダーを

シングルスだけ、逆張りし、ガチンコ勝負のつもりでした。

そしたら、シュガー先輩に、逃げたなって笑われました。なぜなら、私たちは幹部学年。団体で負けるわけにはいかなかったのです。

目いっぱい第一複。先輩に界王拳スマッシュを浴びせ続け、負けました。舟木さんに力みすぎといわれたそうです。

3単の引退する先輩かな、全力で気を抜かず、一生懸命倒しました。一番緊張した団体戦が、4年の一回戦です。

 

2020/5/8追記:興奮した後に、聖マのライバル、ウッディが応援してくれていて、パパがんばるねーって言われて、その後全面フリーを7点くらいやりました。疲れていたけど、すっごく楽しかったです。終わった後のストレッチ&ウッディのストレス発散にはなったかも。 

 

その後は、もう思い出したくないくらいの熱中症具合悪い実家帰る友達いない状態だったので、秋田戦は、王道バドに切り替えましたが、なんと向こうがオーダーをずらしてくるという用意周到ぶり。

2複、粘られたら、多分体力負けするなと思ったら、粘られて負けました。

1単、かなり強いサウスポーの選手でした。全く前情報がないので、緊張しました。

1セット取られて、2セット目11点を多分私が先に取ったところで、打ち切り。

命拾いしました。熱中症で、死ぬところでした。

アドバイスをもらいに行きましたが、朦朧として、あんまり覚えていませんでしたが、旭川の緑パンツの先輩に凝視されていたような気がします。

フットワークがはやいかもしかのような足だね、って二人にアドバイスされたような気がします。

その翌年に、旭川の第2ダブルくんたちと、仲良く喋れたのも、そのつながりかなあ。

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団体が終わって、熱中症個人戦はほぼ棄権、内シードだけ取れれば十分だったので、有名人たちにいっぱいインタビューしました。

①東北のメダリストは、前年度大会委員長。おそらくすべての業務を自分でしたやばい人と思われます。東医体の時は、坊主にしていました。確か

②一番尊敬する埼玉のインハイ16は、新潟のエースに負けてぶちきれてました。

おれが負けたら終わりなんすよ。。。。おそらく、個人戦に絞ったんだと思います。

③杏林の足釣り仲間の先輩と、ユニ交換を済ませました。その後、ゆいくんに負けてました。彼は私より先に、東医体の有名人となり、なんと展望で優勝候補にまで上り詰めました。

④群馬のやまとさんもしゃべったけど、おぼえてないなあ。

⑤大会期間中の鉄門は、主管+50周年パーティー熱中症者続出で、もうピリピリ

死人を出すわけにはいかないので、パパは頭を冷やし、開成の後輩のハリーポッターに、秋田のサウスポーの弱点を教えましたが、右左を間違えて教えたので、修正できず、負けてました。

 

うーん。4年の団体戦は、戦う上で、パラダイムシフトが起きた瞬間でした。

次の年は、主管(ギラギラの亀ちゃんをなんとかサポートしたい)
その次は、ユが4歳マが1歳のラストチャンス、なんとか全てベスト4に行きたい

と考え。まずは筋トレをするという意味わからない行動に。これが、QOM党ね。

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