おはようございます。
環境の変化にいちいち弱いので、3年ぶりに左の感音性難聴になりました。
解剖学的に言うと、シツジョウタイ、この通り道は、複雑で、
外側からの線維は、顔の中心にある目を支配していて
内側からの線維は、なんと、耳を支配しています。
交叉しているかは、覚えていませんが、そんなクロスオーバーがあります。
いずれも、側頭葉を通ります。
私は、陽気な、左脳脳タイプ。なので、今回は、少し落ち込みましたが、
徹底的に言語を鍛えているので、また、陽気になりました。
***************************
今回は、音楽をテーマに少し話してみます。
3歳のころから、ピアノを始めました。
とにかく、ゆーこ先生とのおしゃべりが大好きで、母に見られているのが緊張でした。
良いところを見せないと、母はきっと「家で練習していないと思われる、ミスるな」と願い、私はさっさとレッスンを終わらせて、おしゃべりがしたかったです。
いっつもシールをくれるのが、嬉しかったです。さすがに、練習日記は残ってないです。
中学受験が忙しくなってきて、曜日が合わなくなる時も、違うレッスン場が塾の近くの若杉小のあたりにあったので、レッスン曜日は変わりました。土曜日に一人で通っていました。
そうすると、生徒さんが、がらっと変わって、いつも発表会のラストの方で披露する、素敵なドレスギャルが、練習していました。真剣勝負で、なんだか、塾の前にヘロヘロになっていました。
一番うまかったのが、サクラ先輩。どんどんやる曲が難しくなっていて、明るいソナタが得意でした。
先生の教室の特徴は、とにかくショパンは、有名な曲は弾かせない、だと思います。
コンセプトは、モーツアルトを好きになる、だと思いました。
今わかりました。
5年生の時は、ホームの教室に戻りたくなくて、先生のおうちでお茶を飲みながら練習していました。もしかしたら、時々一人でいっていたかも。練習した記憶がないです。
家で練習は20分くらいしていたと思いますが、とにかく団地公園で先輩になってきたので、運動も頑張らないといけませんでした。このころから、後輩の生意気な子に、1on1で負けるようになったのと、団地所属じゃないスポーツバカの兄弟と、時々サッカーやドッジボールをしました。ドッジはかわすのがうまくて、サッカーはみんながうますぎてかなわなくてよく足遅ーいって笑われていました。
脱線しました。
6年は、また曜日が重なるので、一番の総本山、東横線教室でした。
すごく緊張して、3か月でお休みすることにしました。
小学校の担任の先生が、体育専門の先生だったので、とにかくバスケットボールに注意が向き、スラムダンクを毎週日曜の御遣いの時、ジャンプで読んでいました。インターハイでした。途中から読んでいたので、まさか赤い頭のやつが主人公とは思いませんでした。三井寿がかっこいい、と思いました。
中学になってからは、ホームの教室に戻ったのですが、もう制服を着ていたら、
変な高校生に金持ってるかと聞かれたり、途中のラケットショップフジに寄ったら、店長に学校名を聞かれて、恥ずかしくなったり。
レッスン時間を夜の方にしてもらいました。
中学3年で、伝説の口説き文句である「ジョーブラックによろしく、見に行きませんか?」が誕生しました。YUDAI JAPANの企画力で、彼女みたいなギャルができました。ほんと、ストーカー一歩手前ですねw
高1は、一番ピアノを頑張りました。調子に乗って、ピアノの授業を選択しました。
開成の高木先生は、熱血憑依型。確か開成卒だったと記憶していますが、
もう本当に正確で、ミスが少ないので、みんなは午後の休憩タイムとして、
寝たり、内職勉強したりしていましたが、
私は一回でもミスをしたら、指摘してあげようと、90分間ずーっと見て、聞いていました。
生意気にも、「今日はいつもよりミスがおおく感じました」「今日は寝てしまいました」なんて、聴講カードに書いていたので、すぐに目をつけられました。
3学期の、発表会で、人生で一回も弾いたことのない、ショパンのバラード3を課題曲にされました。
かなり、sudden of death, blue of sudden 青天の霹靂。
ゆーこ先生に、慌てて報告しました。発表会までは、8か月もありましたが、
先生は、一言「絶対に最後まではむりだね(笑)」とおっしゃいました。
でも、先生なりに尽力されて、
当時「譜割り」という概念がありませんでしたから、とにかく
ペダルを踏むタイミングと、主旋律となる音をレッスン。
つまり、ショパンの意味不明和音から、私の耳を守っていただきました。
結局、発表会はカオス。
うまく弾けずに泣いたり、妥協して簡単な曲を弾いたり、もうそれはそれは何時に終わるかわからない、自分は、3ページしか弾けない爆弾。普通に弾き終わったら先生に殴られると思いました。
憑依型芸人となり、一生懸命3ページ弾きました。それで、ここまで、って立ち上がったら「てめえ」と、にらまれました。
3学期のピアノの成績は、8に下がっていました。
これを機に、モーツアルトツケメンパパ、が生まれるかと思いきや
高2の教室の課題曲は、バイオリンとのアンサンブル、曲としては簡単なショパンのワルツでしたが、非常に難しくて、バイオリンの方が、大学4年生だったので、いつも緊張で吐いてました。嘘、下痢していました。しかも、ホームと、総本山を行ったり来たり、部活も忙しくて、ちょっと先生と二人で会える時は、ほとんどお茶してしゃべるだけだったと思います。先生にもお伝えしましたが、毎回ムラムラと戦っていました。バカだろ!っていつも笑われていました。
その年の発表会では、打ち上げまで連れてっていただいて、確かカオスだったと思います。
高3の運動会で担当学年、高3、総合優勝、つまりリレー以外全部優勝できたので、燃え尽きて、先生にお茶のみだけ行って、夏でお別れしました。
初恋ギャルも、塾で忙しくてすれ違いになりました。
と、言うわけで、パンよりモルト、なお話です。
いつか、好きなスピッツと、ハスキングビーと、Lagwagonと、RadWimpsというバンドについて語ろうと思います。