Tsukemenpapaのブログ

アラフォー別居婚男性の頭の中

5月、助走

 急性期病院とは全く違う施設で、利用者さんの今後一生、どう過ごすかの分かれ道、筋道を示す仕事をし始めています。

その中でも、事前の面談と実際のパフォーマンスが随分と差があることがあります。

それは脳の機能が非常に複雑なこと、時間と空間の話もあります。

ただ、病歴、歴史が大事だと思います。一般的に言えば、全ての現病歴を「診療情報提供書」に記載してバトンタッチを受けます。

ただ、色々な病院を経て辿り着くうちに、歴史が捻じ曲がることもあります。

溢れる情報の中から、絶対に揺らがない真実「画像所見」「理学所見・机上の検査所見」を元に、歴史を再構築することが、大事だと思います。

現代医療の限界の、脳脊髄障害の完治を目指すためには私の研究を花咲かせないといけません。諦めません。

まだ研究仕事が始まらないので、考える時間が少し増えました。短文

上を向いて下を向いて

 全てのことに意味がある。。。

 初めて、外に出た。大学からは、よく見えなかったことが沢山ある、と思う。

すごく沢山の職種が1ケースに関わるので、色々な人が居て、意見があります。当たり前のことです。医学的に正しいとか、なんとなく勘だけど、は全く通用しないです。

色々な人たちが居て人間関係が様々です。そして、利用者は私のようなアル中だったりやんちゃモノです。その昔、ポコ〇大好き星というところで修行していた時とは立場が変わりました。

横浜駅から45分くらい電車に揺られて帰る。平日は見かけなかった、地魚のお造りとビールをスーパーで買う。部屋に帰って、一服をして、19時くらいから食事を作る生活は、すごくゆとりがあります。改めて、脳のことや感情のこと、今後の研究のこと、今後の仕事のこと、バドミントンのこと、考えすぎて両側難聴が再発です。

 研究の原点は炎症だけど、大学生の時からの関心領域はやっぱり脳みそ。脳みそを筋肉にする、ツケメン回路を発見するための、大事な社会科見学です。無駄にはならない時間だと思います。

 こんなに考えているのに、バドミントンは派手なプレイと大ポカの連続。時間を大切に生きているキャプテンに、もう許さんと怒られたり、サーブ練習はしても良いけど隅っこでやれ、とか縄跳びを貸してもらいます。

考える時間は増えたのだけれど、家のパソコンが壊れて修理中。思いついたことを調べたり、表現できないので、もどかしいです。当直の時しか、パソコン使わない月間。来月からのハードスケジュール、その前に自分の過去から未来までを見つめる良い時間があります。とりあえず書き始めてからもう1年になりそうな英作文をやっつける。 

700字くらい

75日以上続く気持ち

 つい最近思ったこと。友人の近況チェックや興味のあるコンテンツ、ギター・バドミントン・自然科学研究の情報収集のために、SNSを利用しています。いわゆるロム専です。友人、数少ない友人。さらに筆まめな人は少なくなっていて、最近「こんなことがありました」の投稿は一日数ポスト。ただ、コンテンツの情報が溢れかえり過ぎています。パソコン起動時に、投稿画面が表示されると、読み終わりました。いわゆる既読状態となって、二度とその投稿は表示されません。

 ささっと見て画面を一旦消したあと。ものの数秒後に、今のおいしそうな画像、いつ、だれが、なんで投稿したんだっけ、と情報の大事な3要素を全く把握していないことに気づきました。先ほどの便利機能のおかげで、そのおいしそうな画像にはたどりつけませんでした。

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 3月に、めちゃ辛いことがありました
噂・嘘だと信じたいんだけど。。。ラブリーな実習班のインド人の話。

一緒に精神科医になろうって言ってた。国試後に家でママに「変になった」とお薬を飲まされて風呂で溺れて、本当に頭がおかしくなったおれ。
卒業式、隣の席のインド人に「おれ、頑張れなくなっちゃったかも、宜しくね」って伝えて2年弱研修医を休みました。
時が経って、ラブリーな実習班のチョイ悪君の結婚式で葉っぱ隊をやった時。シャバに戻って2ヶ月の、15kg太ったおれを気遣ってくれてありがとう。お家まで送ってくれたよね、確か。
2013年に札幌の学会一緒で、日本最強の彩未で味噌ラーメン。美味しかったなあ。
その後もシーサイドラインや大学で会うと、「おーツケメン!」声をかけてくれてありがとう。
去年は同じ職場、フロアが同じ階。だから良く会ったし、年明けも地下鉄で帰り一緒になったね。「リハ科、こんな遅いの?」って聞かれて、人員減で人少なくて毎日こんな感じなんだーって愚痴った。自分のことばっかり喋ってたかもしれないなあ。


6年の中夜祭で卒試を犠牲にして大成功やった、レッツモテたいでござる、のミュージカル。おれんちにHDDで残ってる。いつかみんなで見たかったなあ。

。。。関係があったと思っていた中で、一番最後の方に知りました。みんなが「辛いけど生きてた1ヶ月」と、おれの「知らずに生きてた1ヶ月」。
全てに意味があるんだけど、これからの時間が辛いものだけど、星に願いが叶うなら、もう一回ニッポンのミカタ踊ろうね。

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全ての事象に意味がある。新職場、しかも一年限定だけど一生懸命生活期のリハビリテーションを頑張る。研究のエフォートは、30%。いっぱい頭を使う。新生活、緊張しすぎてタバコ吸っちゃった。

1130文字くらい

凡才の身体とあたまと報酬系

日曜日、久々のバド練習。40になって、練習前のストレッチやウォーミングアップは大事です。昨日も練習があったので、お尻と左のアキレス腱と右膝が痛かったです。卒業式シーズンで、いつもの聖地体操マットが撤去されていて、ストレッチは不十分でした。バドミントンのような、左右に体をねじったり、右に左に踏み込んだりするスポーツ、身体のケアをしないと続けられません。チームはかなり高齢化していますが、みんな秘技のテーピングや、マグネシウムイオンのオイルを塗りこんだり、基礎打ちの前の準備が念入りです。私はNISSANのパパの真似をして、お尻の柔軟をよくやっています。

日曜日の練習では、基礎打ちで7ー8分スマッシュ、合計200本くらい打ち続けることを課しています。これだけ打つと、足が動けば無限に打ち続けられます。

その後2時からだいたい4時55分まで、ノンストップでゲームに入ります。

両肘が痛くて、ヘロヘロになりながら挨拶をして徒歩で帰宅。今日はお肉と刺身を食べたくて、イオンに買い物へ。体調が悪いのか、ホタルイカやまぐろのおつくりに魅かれず、牛タン焼き肉用やブタカシラを買って、安い黒ビールを買ってレジに。イオンで買い物をすると、ほぼ毎回年齢確認をされます。今日も、黒ビールをバーコードリードしたらすぐにイオン隊がやってきました。どっとつかれて、左足はつりそうでした。

スポーツセンターで練習していると、「高校生以下のおともだちは、学生証みせてくれたら、今日は無料ですよー」と、二回も聞かれたことがある。39歳のおともだちです、はパワーワード

帰ってきてから、切れたガットをハサミでキレイにして。そろそろ張り器買って手張りデビューした方がいいんじゃないか、と思いながら。ビールとトロタク巻きを持って足湯。

娘たちが引っ越して、イササカ寂しい時間が増えたように思う。時々、週末はみんなで飯食べたり、ガチ七並べしたり。子供たちは18歳、15歳なのでまあ、昔よりは寂しい思いは減ってるんだろうなあ、と思っていますが、チチは会う回数が減ってつらい気持ちになります。

一緒にいるときは結構ずーっとしゃべって時間を削りあっていたけど、おれの良かったことは100喜んでくれた本妻と言われる人は、結構いい女なんじゃないか、と思う。

少し酒が切れたようなので、ハイボールを追って気が付いたら泥のように眠る日曜日にしようと思う。

 

アコギな話

 40過ぎたおっさんになって、夢中になっているのはギターとバドミントン。世間では、中二病厨二病なんてスラングもあるけれど、自分は中2なんだと思う。当時から今も変わらず、あだち充の漫画や少年ジャンプの漫画を読んでいます。

 今日は、漫画の話や、漫画を読んで悪の天才科学者の道を進んでいる、という自分語りをしたいのではなくて、エレキギターの話。の中でも自分語りが多め。

15になる頃の正月、お茶の水にある楽器屋を一通り巡って、結局決め手がないまま買った銀色のフェルナンデス。エレキギター。バンドを始めた同級生がとにかくカッコよく見えて、楽しそうで、始めるならエレキかな。という単純なモチベーション。

ただ、思っていたよりも楽器自体がが重くて、弾くのがしんどくて、さらに初心者セットについていたちっちゃいミニアンプの音がひどくてひどくて。CDで聴こえるような音が全然出せない。音はプツンプツンと途切れる。ああ、ストレス。アコギを弾いてる方が楽しいかな、と思っていたら組もうとしていたバンドの話がなくなって、違うバンドでドラムを始めました。

20で実家を出るまでには、アコギもナットが取れて壊れて、友人のプレシジョンベースばかり触っていました。15の冬に買ったエレキギターはどこにねむっているのかわかりませんでした。ギター歴は0に。

横浜に来てから、水泳部の飲み会で先輩とゆずを弾き語りして、指が音を覚えていたことと、盛り上がって楽しかったことから、YAMAHAのチープだけど頑丈な黒いアコギを石橋楽器で買いました。所謂赤ラベル。下宿の家に楽器があれば、友人が集まった時に楽しいかなって。引っ越しの騒動で、一年ほど海辺の思想家に預かってもらったり、本妻の家で弾くメイン楽器。学生時代や長く休んだ研修時代は、時々黒ラベル。楽器は見るのも弾くのも辛い時期がありましたが、ちょっと元気になってきて、再開。主にベースでしたが、その後は黒ラベルも結構弾きました。そのうちに、反抗期が明けて仲良くなり始めた次女の補助輪が取れて、行動範囲が広がって自転車の冒険で遠くの海辺へ。黒ラベル片手に。長女はずっと塾でした。

2016年のおれの誕生日に、親父の下垂体が爆発して、お茶の水に行くことが多くなって、疲れました。入院期間が長くなって、説明を聞いた帰り道に、煌びやかに輝くgibsonのアコギ。買ってしまったんですね。好きな人に例えるなら、木村カエラみたいなLg-2AE。クロサワ楽器の店員さんには、「恐れず、ガンガン弾きこんでください」と言われました。その次の年、2017年に大学院進学。アコースティックな会が結成されそうだったので、木村カエラもそこそこに使っています。黒ラベルの方は20年経って、多少フレットが欠けても、ペグが錆びついても、音の鳴りは良くて枕元に置いて、起きてフレーズを試したくなったら弾く、みたいな使い方をしています。2020年に緊急事態宣言が出て、16年ものの黒ラベルをよくよく見ていると、指板(押さえて音がなるところ)が補強されて、音の鳴りがふくよかになった気がして、弾く時間がさらにながくなりました。時々Lg-2と弾き比べて、海の公園でギターを弾きました。

エレキギターに夢中になっている話を書く前に、20年使っているアコギの話になってしまいました。しかも赤ラベル黒ラベル、ストループしてる。もう少し思い出してみます。後半につづく ツケメン拝 1400字

 

どうした2024初め

2021年ぶりに、センター試験、あ、共通テストか。現代文と、数学1Aを解いてみた。現代文、とくに現代小説の難しいのなんのって。現代文が35ー42点、3つくらいは気が抜けて間違えちゃう。問題は数1A。はっきりいって、解けない。分散は偏差の2乗の平均、相関係数は共分散を偏差で割る。ここ数年、医療統計を勉強しているのに情けないけど、知識が確実になって良かった。

怖いものみたさに、古典と漢文も解いてみたけど、4問しかできなかった。合わせて20点くらい。古典なんて、貴族の恋愛を従者が歌読んだり記述してるエロエロ小説なだけなのに。そんな、講義の合間に変な頭の使い方をした2024年1月

目が三角、心も耳もつまっている

 熱が出たり、下痢が止まらなかった今年の末。日記を書くようになってから、年末はいつも下痢の話とか、ウイルスの話をしているかもしれないなあ。年末に元気だった思い出は、高校1年生の大晦日。人生初の年の瀬をお友達と過ごす、胸が高鳴るイベント。その翌年高校2年生は、ラザニアに食あたりを起こして、大晦日に倒れて人生2回目の点滴。小学校6年生の年末は足を骨折して、下手な松葉杖歩行で学校も塾も通って、辿り着くのに満足して復習プリントを全くやらなかった思い出があります。体調が悪い思い出を巡っていて、今の仕事のキーワードがちらほら出てきます。

 年明けの同門会で、教えている大学院生が一年目の研究報告をしなくてはいけません。研究、臨床どっちでも思うこと。クエスチョン、そして研究で「なにを明らかにしたいか」が全然形にならなくて、スキマ時間に熱血ブレインストームをしたこの一年間。臨床医をしながら、臨床研究をする、というおれの経験とは全く違う状況なんだけど、相当知識が溜まってきました。けど「やりたいこと」がなかなか言葉にして説明できないのは、なぜだろう。教授たちのお考えもちゃんとカンニングして相談するたびに「なにをしたいか」が分からなくなっている様子。考えているんだけどなあ。おれの監督業が未熟、未熟さを根性と時間でカバーしようとしましたが、年末自分が倒れた後、後輩君も今日吐いてお休み。文房具やさんのノートに薄い黒ペンや赤色ペンではいけません。

 自分は、来年大学じゃなくなって、初めてわがリハ科の総本山のセンターに行ってきます。研究者としては、「今年がんばって書いた研究書類も、思いが届かなそうだなあ」と口だけ博士の期間が続いてしまいそうです。でも、懲りずに隠れていっぱい勉強を続けて、研究の心を燃やそうと思います。炎症と、骨格筋萎縮と、体重減少に夢中になった一年の成果も出せるといいなあ。おれの原点はやっぱり炎症。大学院は炎症と膠にはまって、今は炎症と筋肉。明らかにしたいことってすごくシンプルでいいと思います。運動したら元気になる、機序。勉強したら頭がよくなる、機序。日本史上一番の天才が、言っていた生まれたら心臓が左にいる、機序。お笑い芸人でもいましたが、「なんでだろう~」が大事です。明後日はみんなで実家でカニ! 960字くらい