何故、日記を記すようになったか。
大学に入学して娘が誕生する前の日常を、感情をごちゃまぜにしながら、
自分の生活で感じたことと結びつけながら、書いてきた。
徐々に、自分の人生の悲観や体調不良を振り返るメモのような存在。
随分と休んで、心穏やかに生きてきた。
児童精神科を志した。リハビリテーション科学を志した。
大きく迷いながら、なんとなくリハビリテーションをした。
娘は大きくなっていた。
同じスポーツをたしなみ、ガッツポーズを心の中でした。
何となく、不調には気づいていた。
ただ、圧倒的にサポートできるマンパワーがあった。
思春期を言い訳に、距離をとった。
ただ、発病していると思うから、治療を始めるように、と妻に伝えた。
新型コロナウイルスの流行で、世界が変わるときに、自分も体調を崩した。
その時は、寧ろ、娘は落ち着いていたと感じた。
学校に通えなくなっていた娘にとっては、テレ活動は、合っていた。
なんとなく、世界が曖昧な基準を探すようになって、
やっぱり不登校で、一大決心をした日に垂直落下した。
跳べることを証明したいという理由があるらしい。
数ヶ月ぶりに会って、久しぶり、意外に言葉に詰まった。自分が覚えている顔では、あった。
大馬鹿野郎。発病していることは間違いない。何でわからないか。
妻は何としても、自分で解決したいようだ。
一人で抱えるな、児童精神科のベッドに行くように伝えた。
何が起きるかわからないが、おれの声は届くのだろうか。
次女も遠い目をしていた。
4人の幸せって、どこにあるんだろう。