Tsukemenpapaのブログ

アラフォー別居婚男性の頭の中

暑いからかビッグウェーブが来て困っている

もう一週間以上まえだけど、学部4年生の研究指導と、自分の専門医試験が無事に終わった。

試験勉強がとにかく大変で、コツコツ派のツケメンパパとしては、結局高校の定期試験のように、前日に教科書を読んだり、「じいさんのノート」という市谷でともに勉強をして、ちゃんと東大に受かった同級生のノートを読んで詰め込んでいた。自分のノートも、低順位層になぜかコピーを強請られ、自分のノートがなくてじいさんのノートを読む始末。中学の時は100番くらいだった成績も、倍以上に落っこちた。

国家試験も東医体と学園祭のバンドと、クラスの出し物、後秋リーグにも手を出して、子育てもしながら卒業試験を乗り切る、という今となっては無謀なミッションを立てて、譲らない男は、2010年の三が日に病理のA教授に呼び出されて、徹底的に諮問を受けて、やっとみんなが受けていた模擬試験に着手。A教授は、受験の時にも私を0点にして補欠合格送りにした、やばい人だったので緊張した。

2009年夏。模擬試験は、東医体までの2回の試験は必修ブロックはクラスで一番で、余裕をぶっこいていたんだけど、7月の中旬。大学の実力テストの時は保育園の呼び出しがあったので、全部「あ」にマークして、医学教育のG先生に呼び出しを食らった。こんなんじゃ東医体行かせられないよ、と言われて逆上した私は夜の医学教育教室で、教授机を蹴っ飛ばして合宿所に行った。困ったら合宿所。

結局東医体豚インフルエンザ蔓延があって、5日目まで勝ち抜いた私と、愛する後輩がなんと帰りの新幹線で発熱してしまい、大阪市大と名古屋市大との交流戦は中止。一週間実家で自宅待機になったので、ラーメンを食べながら体育館に持参していた山ほどある問題集を全部解いて、横浜の家族の元に帰り、附属病院の試験を受けて、残りの夏休みを葛西臨海公園に行ったり、御殿場のアウトレットに行って、ドラクエ9の通信ゲームを楽しんだ。9月の頭に、病院試験の結果発表があって、なんと東医体のランキングと一緒で11番。皆にいつ勉強してるのか心配されたけど、開成のOB会にも行って、実習と、リーグ前のバドミントンの武者修行。稲城市の体育館の遠征では、埼玉のさとう君と組んで表彰状も取れて、何だか充実していた。

リーグ戦、はっきり言ってかっこ悪すぎた結果だったけど愛する後輩に花束をもらって、バドミントン部の妻であるうずと、ドライブをして、翌日から神経内科の卒業試験。神経内科は、黒岩教授が5年生の時におっかなくて、お腹を壊すくらい勉強をしたので、合格。その後は勝率5割くらいで、私の出席番号04と、親友の10が掲示板に良く張り出されていたわけ。それでも学園祭のバンドで優勝をするのと、クラスの出し物をやって壮大な飲み会をモチベーションに、当然保育園に17時くらいに迎え行って、ママを病院で迎えて作り置きのご飯で団らん。

バンドも出し物も大成功して、インフルエンザも流行って卒業試験が結局12月の終わりくらいになって、追試験が完了しなかった私だけ年明けの諮問。長かった。

国家試験の一夜漬けは、はっきり言って無理だった。情報戦の要素も高く今ほど知識が整理されていなかったので、実家で子供たちを寝かしつけたあとは2ちゃんねるで、偏差値30組・40組・50組の3スレッドで今年出そうな問題などを総ざらい。内科は神経内科が得意だから、消化器や循環器は捨ててホルモンに全振りしよう、マイナー科目を満点取る、など。

学部時代の試験は、我が大学はとても難しくて有名だったけども、学生がそれを上回る優秀さで、教員と学生の戦いだったように思う。恩師である解剖の先生は、満点を取るつもりで勉強をしないと、60点、可に届かないんですよね、とおっしゃっていた。それを聞いて、2年生の解剖の試験と組織学の試験と、発生学の試験はがんばった。解剖の試験以外は全部追試だったけど、組織学の追試験は満点で、ツイツイ試験になった学生にこのくらい勉強して解答用紙を真っ黒にしないと、と配られたそう。

ただ、免疫学と病理学と細菌学は最後まで追試。3科目以上は落とせなかったので、免疫学の最終諮問。全く答えられなくて、泣きそうになっていたら「ツケメンパパは結婚式の準備で本当に忙しかったんです」と、涙ながらに力説してくれたため、通った。めぐみちゃん、本当に感謝しています。

だらだら書いていたら、すごく長くなってしまったので、一旦締めると、感染症の戦いが2009年にあった。2007年の4年生の国家試験CBT。とってもかわいかったおてんばが、ロタウィルスに人生2度目の感染で、パパはずーっとオムツを替えていて試験勉強も半分くらいで、何とか半分くらいの順位でやり過ごしました。

感染症の戦いが2回もあって、2011年3月は地震だった。噴火が起きた。南海トラフだっていつ起きるかわからない。今は一生懸命生きるよ、おれは。

2000字くらい、みんないのちだいじに。